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■ 北アルプス 前穂高岳 西穂高岳   2003/05/01
カテゴリー: - 管理人 :

日時     2003年5月1日〜5日
メンバー   森田、大野、安田、中山

 4月30日23:30分川越発で沢渡駐車場3:30着。あ〜眠たい。
 5月1日と、言うことで朝寝坊。上高地村営食堂で恒例の朝定食を食べて9:30に出発。北尾根へ向かう。

写真の通り残雪は少ない。但し天気は快晴・無風で絶好調!2時間で徳沢。もう一時間歩いて奥又白谷残雪末端へ。暑いし、荷物が重いしで早くもバテバテ。一向に足取りは駆らずで慶応尾根コルにて行動をあきらめる。PM3:00いや〜な予感がよぎる。夕食を食べて即就寝。

 5月2日、3時起床5時出発。慶応尾根を登るが一向にペースは向上せず。結局3時間掛かって八峰頂上へ。さあ〜ここからわくわくドキドキの岩稜歩きだぞ〜。でもちょっと度が過ぎたかな〜。で緊張のあまり胃が痛いとか、唇真っ青とか、オェ〜げろ吐きそうで、ロープワークどころで無くなり、雪の無いぼろぼろの6峰手前でこれ以上は無理!と、撤退決定し7峰8峰コルまで戻って涸沢まで続く沢をロープ2本で90mを2回フィックスして上部の急な斜面を下りて、あとは「すたすた」まっすぐ涸沢へ下る。最後は涸沢ヒュッテのギャラリー20〜30名に拍手喝采で迎えられ、あ〜あ、はずかし!(詳しくはY田、O野から特に感想など。)おまけに長野県警の山岳救助隊に事情聴取(なんでこんなところ降りてきたのかだって!)そうだよよく見たら涸沢ヒュッテや涸沢小屋から真正面の丸見え迫力満点の斜面だから。やれやれ。でも明神尾根の状況が県警から聞きだせた。雪が無いって!。だめだこりゃ!すぐにK川会長に連絡。5峰は中止。明日岳沢集合に計画変更。でテントを張り早々に就寝。あ〜あ疲れた。でも天気はいいんだよな〜これが。

 5月3日、2時起床4時出発。ザイテングラートの登り3時間掛かって穂高山荘へ。さらに一時間掛かって奥穂の頂上へ。ここまでは体力勝負の道のりでした。でも吊尾根の縦走に入って南稜の頭からが今回の山行で一番の本番でした。踏み跡はあるのですが、岳沢側に結構な傾斜で残雪が残っており、もし滑ったらなんて考えたら怖い、恐怖、がたがた震え、足がすくむなんてことはあったようで、しかも、後ろから我々のステップを追って来たパーティのメンバーの一人が転落しちゃったのです。しかも眼の前で!。何かに引っ掛けたのか頭から落ちていったそうです。M田君の目の前で。でも、見事に滑落停止が決まって20mくらい落ちたところで停止しました。直後、O野君が岩と雪の隙間に落っこちゃったのです。首まで。先頭をわたしは歩いていたのですが、『中山さん大野がはまちゃった!』と呼ぶ声。尾根をのり越していた私からはぜんぜん見えなかったので、後ろから来ているY田に状況確認。とりあえず落ちたわけでは無い。滑落を現実に見て体が固くなったのかな?まあ、M田がいるからまかせてみるかで、じっと待つ。なんとか対処できたようでO野が仁王像のようなすごい顔をしてやってくる。M田も顔が上気している。必死の形相ってやつ。ロープつけようか迷ったが、よくよく考えたら転落見て固くなったなら、滑落停止は何のために訓練しているのかわからなくなる。結局、滑落停止で止まって怪我も無くすんだのを現実眼の前にしただけで、現場で使った実例を勉強しただけなんだ。止まって当たり前でいつも訓練しているんだと、思ったら、メンバーは全員訓練してやれるのを確認しているし、きっと大丈夫とメンバーの技量を信じることにしてロープは出しませんでした。

と、いうことで吊尾根最低鞍部を通過。夏道どおり前穂のトラバースに入る。雪はどんどん緩んでスリル満点の緊張のトラバースが続く。でも!さすがにみんなトラバースが様になってきました。かっこいいでしょ!で、紀美子平で大休止12:30重太郎新道をそのまま素直に下降すれば良いものを、トレースが無いのと先行パーティが奥明神沢に向かって下降・トラバースをしているものだからついていっちゃいました。大きな誤算はメンバーがこのようなことになれていなかった。懸垂とかロープクライムダウンとか。まあいいや。時間がたっぷりあるからと、思ったのも油断でした。思いっきり時間が掛かって奥明神沢に降りたのが17:00くらいになってしまいました。あとはただ歩いて岳沢のテント場へ後発隊がずいぶんと心配していました。ごめんなさい。テント場整地と設営をやってもらいしかもビールと水までもらいました。高くつきそうですね!なにせみ〜んなバテバテだった。長い一日でした。お疲れ様!。

 5月4日、後発のメンバーは4:30に出発。ルートは天狗のコルから西穂高岳・西穂沢下降で岳沢ベース帰着。我々先発は昨日の疲労もあり、5:00起床。下界まで疲労を残したくないというY田は休養日。3名で西穂沢〜西穂高岳往復にむかう。だだ広い沢を登って稜線へ(でも4時間もかかりました)稜線はすでにハイカー?でにぎわっていました。

雪が全くない!ズック!ズックですよみんな! ヘルメットかぶり、ハーネスつけて違和感たっぷりでした。11:00に頂上で縦走してきたメンバーと落ち合いました。添付写真からも雪の状態がわかるでしょ!デジカメが3倍ズームまでだったので小さく写ってしまいました。ごめんなさい!しばし休憩後全員で西穂沢の下降を行う。出だしは急だが雪が腐っていて滑落の心配なし。よって浦和溪稜伝統の全員ばらばらマイペースの下降になる。なんだかんだいったって一番楽しいひと時だったような気がします。グリセードはいるは、歩きはいるは、シリセードはいるはで、かっとんで、あっというまに見えなくなっていった人もいました。テン場には13:30帰着。

沈殿Y田君が冷たい大量の飲み物を用意いていてくれました。ありがとう。まだ時間も体力?もありそうだったので、帰りの渋滞を考えて一日早く上高地を出、沢渡の駐車場に今夜は泊まることにしました。早速パッキングして14:30出発。16:30過ぎにはタクシーに乗っていました。17時過ぎには駐車場につく。歩いていける沢渡温泉(湯の花荘は断られた)で、風呂が狭いから5人ずつ順番待ちして18:30ごろからテントを張って寝る予定だったのですが、打ち上げ風の晩飯になってしまいました。うちの山岳会じゃめずらしいよ。こんなこと。うちでは沢渡駐車場じゃ、きっと初めてだよ! Kさん、Yさん食事当番お疲れ様でした。

 5月5日、5時に車で出発し、19号交差点のロイヤルホストで朝飯・清算して、午前中には埼玉に帰ってきました。食事担当・パーティリーダー及び参加各位 大変お疲れ様でした。怪我無く戻ってこれてよかったと思います。当初の冬に備えた偵察はできなっかったですが、あきらめずに行きたいものです。さらにレベルアップした山行を組んでいきたいものです。協力を宜しくお願いします。
N.N
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春合宿 北アルプス 前穂高岳吊尾根  緊張のトラバース

5月2日
北尾根6峰手前で、撤退が決まり7峰と8峰のコルでのこと。真下には涸沢ヒュッテの赤い屋根が。どうしたことか私には生ビールのジョッキと黄色い液体に見える。近くでロープワークをしているM田さんにその旨を告げるとなんと!同じ事を考えていた。この時点で来たルートを徳沢に戻ることに決定していたN山さんに
「チーフリーダー!ビールにしましょう!ビールに!!涸沢におりましょう!!!」
「な〜に〜!ビールだとぅ!?…。よーし!!じゃ、ビール決定!!涸沢に下りるぞぅ!」
クライムダウンにて一目散に下降する我々4名は、ヒュッテにたむろしている数百名の観衆の注目の的に。ここまで緊張のあまり、胃液を吐き続けていたO野さん。人が変わったかのようにスタコラサッサで先頭を行く。続く私の2名はヒュッテのギャラリー数十名の拍手を受ける。頭の構造が単純な私は愛想を返したが、あとあと考えると喜ぶべきことか、恥じるべきことか…何はともあれ無事にビールにありつけました(^^ゞ

5月3日
本日は4時出発でザイテンを登り返し難なく奥穂の頂上へ。事件はこの後に起こりました。前穂に向かう吊尾根の途中、雪渓をトラバース中に、後続のパーティーの一人が真後ろで滑落。「滑落停止〜!!」の緊迫した奇声に後ろを振り返るとあれよあれよと滑り落ちて行く人体。幸いその人は、自分の技術にて100メートルほど下で停止しました。が、私の体はコンクリート状態。ピッケルを突き刺したまま身動きできず。この時の心拍数はゆうに200を越えていたでしょう。
「中山さぁ〜ん!御願い、ロープ出して迎えに来てぇ〜!!」 心の声^^;
この数分後には我がパーティーのO野さんが同じ雪渓にて滑落!と思いきや、なんと、自分の体重で雪渓上に大穴を開けて沈んでいました(゜o゜) とにかく、口の中はカラカラ、食物は喉を通らずじまい。その下の奥明神沢で滝を巻く時点でのこと、
チーフリーダー「ここは懸垂でおりるぞぅ!懸垂下降準備!!」
Y田「!??」
チーフリーダー「何やってんだぁ!懸垂準備と言ったろう!!!」
Y田「!!????」
チーフリーダー「まっ!いいか!」(-_-メ)
十三時間半の長い長い一日でした。
フゥ〜!!!   T.Y

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