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■ 奥秩父 和名倉沢   2002/10/13
カテゴリー: - 管理人 :

日時     2002年10月12日〜13日
メンバー   牧野、掛川、鈴木、中山、森田、安田(6名)

* その壱 *

 今までで一番早い撤退になってしまいました。取り付きは仕事道が整備されてて非常にいい感じだったのですが沢の対岸へわたるための吊り橋がくせ者でした。トップを歩いた僕は全く気が付かなかったのですが、吊り橋の真ん中の真下にスズメバチがでっかい巣をこさえてて、歩いた振動で興奮してしまって。。。俺と、牧野さん、五郎さんは対岸へわたったのですがそれ以外は、立ち往生。様子を見に橋の途中まで見に行ったら攻撃を食らいました僕が。しかも、どたまに。。。で、結局、沢まで下りて渡って時間ロスを取り戻すためにエスケープルートを途中まで登ったのですが、上で倒れたらやばいので撤退に決定。いつの間にか五郎さんも手をやられていたようでしたし。正直、行きたい気持ちの方が大きかったんですが、今では撤退して正解だったと思ってます。戻っているとき、滑り落ちそうになったんですけどあの時もかなり身体がだるくて、目の周辺も腫れてきており、かなり集中力と身体の動きが削がれていたんだと思います。薬の副作用もあったでしょうけど。その後、他の人と別れて、バイクで三峰神社に行ったんですけどそこで症状が出始めて、発汗と動悸。異様に疲れるし。やばいと思って行動を避け、ゆっくりしてました。あとは問題なく、峠走ったりして帰ってきました。イベント+α 帰りに秩父の町中で田舎暴走族と合流してしまって、併走する羽目にいやだったなぁ、遅いし。ぶっちぎってきましたけど。それと武甲周辺でデモ隊の行進にぶち当たってしまって通せんぼ。正丸トンネルの前のトンネルそばでタクシーに急停車されて、テールスライドで止まる羽目に。笑ってしまいました。日頃の行いの報い?  M.Y

**その弐**

10月12日
 三峰神社駐車場にてテント泊。森田は、バイクにて現地集合。

10月13日
 7:00ごろ大洞林道入り口に車で移動し、デポ。少し寒かったものの、暗い林の中を大洞川目指して下降。(100〜150m)。和名倉沢の『ゴーゴー』という爆音がすさまじい。本流は至って静か。事件はそこで起こった!本流のつり橋を森田、牧野、鈴木、で渡りはじめ、ゆれが激しいので、すこし遅れて安田、掛川、中山が待っていた。安田が進んで行き中間部先で撤退。『はち・スズメバチ』とのこと。先に渡り切った3名は先に行ってしまった。パーティ分断。しばらくして先に行った3名が戻ってきた。様子見に森田がつり橋を渡ってきた。注意を促したが瀬音にかき消されて聞こえなかったのか、シンボルヘッドに一発攻撃をもらう。バチはスクランブル体制でブンブン状態。これはまずい!! しかたないので安田が川を渡るルート発見にてバチは回避。つり橋の木の裏にバスケットボール2回りもでかい巣があった。まむしもいたそうな!やだやだ!中山は後ろ向きな気持ちで最後から行く。みんなさっさと行ってしまう。しっかりした仕事道をたどり和名倉沢に。鈴木さんも指を刺されたそうな。傷の様子が気になったが、安田持参の薬で対処して取り合えず沢に入らずそのまま上部へ向かう。途中、支流の沢で、気になったので、下山する。薬が効いてて痛みも無いらしいが薬が切れたらどうなるかが怖いのと、『毒』と『傷』は違うという根底の問題を対処できなければ意味が無いとの判断で、自信が無いので下山決定。天気快晴。2名はそれぞれ大丈夫そうだったが、それぞれに患部は腫れており、見るからに変だ!と思わせる様だった。結局きた道を慎重に帰り、10時半に車に戻り解散。

 家に戻ってWebで調べたら、個々人の体質にもよるが、刺されたらすぐに毒の吸出し・水の洗浄だそうで、できれば効ヒスタミン軟膏?が良いそうな。でも、15分〜30分以内に医療機関での対処が原則らしい。山じゃ無理だよ。そんなこと!アレルギーの発症は4タイプあるそうな。一番やばいので30分で死に至るそうな。自分がどんな蜂アレルギーか注意、注意。刺された直後に行動は禁物。毒が全身に回るとのこと。・・・・・毒の対処の基本かな?
 と、いうことで10月の会山行は終わりました。刺された2名のてんまつについては問合せを。
  N.N

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