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■ 白根三山縦走(冬合宿B隊)   2016/12/31
カテゴリー: - :

メンバー : N山、O原、N村

デジブック版はこちらです。PCで観てください。(音が出ます)
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12月31日(土)前夜発中央自動車道境川Pにて車中仮泊し、
甲府南ICから一般道経由途中コンビニで朝食・補給し奈良田温泉の先の荒川発電所Pへ6時少し過ぎ着。
年末で駐車場はすでに満杯。
仕方ないので路肩に寄せて止める。

準備して7:00出発。ゲートを突破して何度目かの13km林道歩きを開始する。

「今回が最後かな?」と過去の山行を思い出しながら歩く。
上空は快晴だが風が強いようだ。
昨年にも増して雪が無い。
今日の泊り場である池山尾池に雪が無いと水が取れないから疲れた体でさらに上に行軍しなければならず、それが嫌で少し不安の道のりになる。
上から下山してきた人に状況を聞いたら雪は大丈夫そう。
軽量化の効果もあり順調に10:30過ぎにはあるき沢橋の登山道入り口に到着。

少し休憩して11:00に登山道に入る。
今回は色々考えて30年来の付き合いである革のダブルブーツを履いてきた。
この靴もずいぶん傷んで満身創痍・・・でも困難な冬山で守ってくれてきた相棒だ。
若い二人にサポートされながら・・・でも標準コースタイムで登る。
途中でヘリの爆音。正月で工事用のヘリでは無いことがすぐわかる。
意識して軽くしてきたので足がつることはない。良かった。
14:00過ぎには避難小屋に入れる。
少し時間が早かったのかどうかわからないが、ちょうどスペースが空いていて今晩はここに泊まることにする。本当は明るくあったかい外の雪のない原っぱにテントを張っても良かったのだが明日早く出発する際に風や凍結で遅れたり、テントの中が狭くなったりする懸念があったからだ。
そして雪はあるとは聞いていたがおそろしく少なくキジ場の心配もあったので離れた場所から雪をとる。

少したってヘリの爆音。
小屋に荷物をデポしていたパーティが帰ってきて昨日も今日も滑落事故が発生したことを言っていた。
また昨日は風が強くほとんどのパーティが登れていないが本日は風が弱まり登れたとのことだった。
さらに斜面がバンバンに凍っていてかなりやばいとのこと。
白根三山縦走に行くことを告げたら「頑張ってください」とエールを受ける。
16時ぐらいには晩飯を食べて18時前には就寝する。
メーリングリストで現在地を連絡する手はずとなっていたが、アンテナマークが一本も立たず断念する。

1月1日(日)
4時起床で6時出発予定だったが、やはり小屋泊は正解。
5時半にはヘッドランプをつけて出発できる。
道が凍っているので最初からアイゼンを履いて樹林帯の登山道を歩く。
丸一時間ほど歩いて城峰手前まで来た。小
屋を出発するときは風が無かったが、登るにつれ風の音が響き渡ってきた。
城峰を通過して急な尾根を上り砂払い手前で休憩8:00

休憩後亡魂の頭に向かって砂払いを通過したが、どんどん風が強くなり、安定して歩いていられなくなる。

天気は快晴で富士山も駿河湾越しの伊豆半島もきれいに見えているが、風がとにかく強く、突風が吹くと下へ押し戻されてしまう。

今宵の泊り場である北岳山荘もきれいに見えていたがいつのまにかガスの中に消える。
稜線は相当風が強いことがわかる。
何度もここは来ているので朝方に稜線の東側は風のピークがあることがわかっているのでたぶんそれと同じかな?という思いもあり、
またいつまでも耐風していると体力を消耗するのでいったん砂払いまで撤収しツエルトを被り風待ちをする。

結果は正解だった。
1時間ほどで突風のピークを過ぎたので亡魂沢の頭に向かって歩き始める。
ボーコン沢の頭だけは風に飛ばされそうになって通過する。
風速は20m越えている。これは北岳へ行く際の儀式と思えば良い。
ボーコンの頭から先はルートを尾根上ではなく風の弱い斜面側にとれるので風の弱いところを選んで歩いていけば八本歯の頭には自然に導かれる。

八本歯の岩場はFIXロープがあり難なく通過した。

この時点で11時になってしまい内々で目論んでいた本日中に農鳥小屋付近まで行くことは時間的にできなくなった。
昨年とも比べても雪の少ない稜線までの斜面を喘ぎながら登る。
登るにつれ斜面が氷化し始め嫌な予感を感じる。
本来東斜面で雪が積もっていて気温も高度のために凍らない斜面が凍っているということは3000mの稜線の西斜面がどうなっているかは容易に想像できる。
12時少し前に縦走路に出た。
予感は的中した。
風が強くて雪が吹き飛ばされてなく暖冬のせいで溶けた雪がバンバンに凍結している。
表現するならアイゼンのツアッケが2〜3mm位しか突き刺さらない。
アイスクライミングの世界になっていた。
縦走路に出たところに荷物をデポし空荷で北岳山頂へ向かう。
もちろんアイゼンはあまり刺さらないから蹴りこむ足に力が入り、ピッケルを振るう腕にも緊張が走る。斜面が長いので帰りのことも考えてカッティングで足置きや休憩場所を作りながら核心部を通過する。これじゃあ滑落事故が起こっても不思議はない。
それでも何とか30分ほどで北岳山頂に着く。

風は強いし斜面はバリバリに凍っているしこれじゃ人は来ない。
どこを見ても我々3人だけしか北岳周辺に人影は見えない。
もしかして恋人の独占・・・?
私は3度目の冬の北岳山頂。
鋸岳から甲斐駒へ縦走しているA隊は今いずこかと見下ろすが鋸岳は雪が全く無いように見える。

山頂で記念撮影後往路を慎重に戻る。

デポ地点に戻って13時を少し過ぎてしまった。
荷物を背負って北岳山荘へ向かう。
事前に調べたらここの下降は悪いので岩尾根上を忠実に行ったほうが良いとのことだったが、アイゼンの跡に誘われて夏道ルートに入ってしまう。
結局途中で滑落したら一貫の終わりの氷の斜面が出てきて安全確保のためにザイルを3ピッチも出すことになる。
単なるトラバリなのだがアイゼンをつけていても蹴りこんで爪が刺さったことを確認して体重を預けないと、いわゆるアイゼンが滑る状態になる。
私は昔、冬富士の7合目以上でこのような状態で登下降したことがあることを思い出す。
このような状態は登りは出っ歯があり、まだましだが下りはかかとの爪をきちんと使えるテクニックを持ってないと非常に危険。
悪場を抜けたらすぐに北岳山荘に着いた。

風の弱い東側に立っているとはいえ3000mを少し切る標高なので小屋の中も当然氷点下。
でも東に向いた二重窓からは正面に富士山がきれいに見え、室内は太陽光発電の充電池でセンサライトがチカチカするし非常用連絡装置も完備されている。

毛布やいすやテーブルまで完備していて、室内は氷点下10度だが快適な一夜を過ごす。

快適すぎてせっかく持ってきたレミーマルタンを全部飲んでしまった。

1月2日(月)
小屋の中でテントを張らずに寝たので明け方の寒さで4時に起床。
フプラティパスの水が半分くらい凍っていて風の音が小屋の中に響き渡っている。
結果的には早く起きすぎた。
6時前には出発できたが風が強い上真っ暗なので明るくなるのを待つ。
6:30に出発し中白根へ向かう。雪面と言うか氷化した雪面は相変わらずアイゼンは入って2〜3mm程度。夏なら鼻歌混じりで登る穏やかな稜線は、一面の氷の斜面で傾斜がゆるくても滑落する。
おまけに時折突風が吹いてアイゼンをひっかけてこけそうになるのをこらえながらまったくミスせずに歩く必要がある。
夏のコースタイムで中白根山頂へ到着する。

ヘリの爆音がしたので振りかえると北岳山荘脇に救助ヘリが着陸?ホバーリングしている。
あの強風をものともせず安定した姿勢でピタリと止まっているように見え、すごい操縦テクニックだと思った。

中白根から間ノ岳までの稜線は一度も3000m以下にならない日本最高所で最長の縦走路だ。
高度がぐっと上がり雪面はますます硬く締まりアイゼンをつけていても滑るような場所が時折出てくる。

また風を避ける場所が無いので休憩が一切取れなかったが、途中の岩陰をなんとか見つけ休憩する。
その後も夏道を歩いたり稜線上の岩稜を歩いたりルートファインディングしながら進む。
順調に進み夏タイムとほぼ変わらず8:30少し前には間ノ岳に着いた。
突風で吹き飛ばされそうだが、強風で雲も霧も雪も何もかも飛ばされ素晴らしい展望だ。

南を見ればこれから越える西農鳥、農鳥が低姿勢でこちらを見上げているし、いばり肩を張った塩見岳の後方に荒川三山と聖岳を両脇に従えた赤石山脈の盟主赤石岳が鎮座している。

北を振り返ればピラミダルな北岳の脇に仙丈岳・甲斐駒・遠く八ヶ岳が控えている。

間ノ岳は縦走路の分岐だけど時間的にも行くか引き返すかの分岐点。
我々は時間があるので農鳥岳を目指して進むことになった。

農鳥小屋までは標高差400mの大斜面の下り。
でも夏と違って雪で覆われているし、東斜面に移ったことで氷が柔らかくなり、もぐらず、踏み抜かず、今までの縦走路と比べればはるかに歩きやすい。

間ノ岳の山頂から途中で休憩をはさみ9:30には農鳥小屋前に着く。
ここから見上げる西農鳥の登りは核心との前情報もあり緊張感が高まる。

しかし、実際に行ってみると夏場ならトラバースするところをまっすぐ上に2級程度の岩場を直登しているだけだった。
変な安定していない氷化した斜面をトラバース気味に登るより、夏ならもろい岩場でも冬となれば雪や氷でがっちり固定されているので、ザイルを張って万が一の転落に備えれば、あとはしっかりホールトやスタンスを決めていけば10m位なので簡単に通過できてしまう。
閉口したのはこのころより強くなり始めた風。
妙に風向きが南西方向へ変わり、日本海へ入った低気圧の影響が出始めた。
時間的には予想していた時間より少し早かったが、想定の範囲とは思った。
が、いかんせん強すぎる。

ほぼ標高3000mへ再び上がったのだが、二本の足とピッケルで三角形を作り姿勢を下げてやっと耐えられる強さの風が連続して吹き続ける。
風が息をしてくれれが、弱まった際に前に進めるのだが、強風の連続ではふらふらして正直、やばい。
せめてもの救いは万が一倒されても強風で雪もなにもなく夏道が露出しているので滑落はあり得ない。あるとすると転げ落ちるみたいな状況で結構血だらけになりそう。
やっとのことで西農鳥岳を通過して農鳥岳へ向かう。

途中で岩陰で一度休憩し一息入れ、気を取り直して進む。

農鳥岳の手前で遭難者のものと思われるザックが岩にシュリンゲでがっちり固定されていたのを横目で見ながら12時過ぎに農鳥岳に着く。

農鳥岳の山頂は不思議なことに風が弱い・・・というかほとんど無い。
北岳から歩きとおせた、完登したやりきった充足感がみなぎる。
農鳥のこんなひどい稜線は二度と来ないと思い写真を撮りまくる。
12時半に大門沢下降点を目指して出発する。
実はここから大門沢下降点までの稜線が最も風の強いところだったとは行ってみて初めて判った。

稜線が広くなりさえぎるものが無いせいか、突風がどこから吹いてくるかわからず突然耳元であらぬ方向から風に襲われる。何度押し倒されたか覚えていない。夢中で上空へ吹き上げられないように姿勢を低く保って前進した。
大門沢下降点の鐘を鳴らし、やりきった満ち足りた思い出深い稜線に別れを告げ下山行動に入る。我々は夏道をとらずまっすぐ沢伝いに雪面を降りる。
急な斜面だが風も弱まり、雪面も最初はフラットフィッティングだったが、徐々に壺足になって歩きやすくペースは上がる。
下のほうではラビネンツークの上を快適に降りる。

標高3000mから2000m付近まで一気に下降して登山道に戻り休憩。
そこから先は無事生還できた安ど感とやりきった達成感や充足感の余韻と疲労満載の体をひきづって段々と雪が少なくなって再び凍結路となった歩きにくい登山道を下る。
大門沢小屋手前ですっかり雪がなくなる。
小屋には15時過ぎに着いた。
小屋は開放され中に入れた。おいしい湧水は流れているし、太陽光発電で充電されたセンサライトはチカチカするし、囲いのある便所は使えるし、小屋は広いし、小屋の中で盛大に干し物はできるしと、中々快適だった。

1月3日(火)
朝5時に起床し早暁の富士山の山影を確認して6時半に出発。

沢沿いの時折凍結したどちらかと言うとおもしろくはない山道を淡々と下り発電所取水口に下山。

そのまま林道に出て

駐車場には10時少し前に着いた。

冬の日本最高所・最長の縦走路は常に20m以上の強風と時折体が飛ばされる突風、どこまでも続く凍てつく大斜面に耐えながら、時には心折れそうになりました。
でも、そこには最高の景色と感動がありました。

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