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■ 南アルプス南部全山縦走   2007/07/31
カテゴリー: - 管理人 :

2007年7月31日〜8月7日
メンバー;鈴木(五)単独

<序 章>
 いつの頃からだろうか? 南アの南部の山々に想いを馳せたのは・・・。そう、それはいまから、およそ35年以上前、我が高校山岳部と浦和渓稜山岳会の前身渓稜山岳会のメンバーにより南アルプス全山縦走の記録を読んだときに遡る。
 そのときの記憶が、いつまでも心の何処かに澱のように残っており、「自分もいつかはやってみたい」と思いながらも、月日は遠く過ぎてしまった。
そこで今年、還暦を迎えるにあたり、記念にせめて南部の全山を歩こうと思い立ち、昨年からの計画を実行することにしたのである。

●第一日目(7月31日 快晴) 鳥倉登山口〜三伏峠
 朝、新宿より中央高速バスで松川ICへ。そこより路線バスに乗り継ぐ。バスはすぐ「伊那大島」駅で10人位を拾い、一路、鳥倉(豊口)登山口へ。天気は前々日来の豪雨を避け、出発日を2回延ばしたこともあり、快晴。バスは大鹿村を過ぎ、1時間40分ほどで、登山口(1750M)に着く。
いよいよ8日間の山行がスタートする。準備を整え、14時に出発する。
 21キロ近い荷が肩に食い込む。我が会一の体重(軽い?ではなく、もちろん重い)の私は、いつものように、汗で鉢巻タオルはびっしょりだ。30分〜40分に1本5分のマイ・ペースで歩く。
 この豊口山ルートは鹿塩ルートより時間が短縮できるので、いまは、ほとんどこのルートを使うらしい。また、今年から、鹿塩へはバスが行かなくなったと聞く。
 材木の桟道を何回か通過、2時間ほどで水場を過ぎ、鹿塩から登ってくる道と出合う。この登山道は15歳のとき初めての合宿で三伏から北岳へ縦走したとき、不安を胸に、喘ぎながら登って来た道である(ちなみに、そのときの2年先輩が牧野さんであった)。
 そこからは20分位のジルザグな登りで三伏峠(2590M)に辿り着いた。
早速、指定のテン場へ。すでに5、6張、張はられていた。眼前には塩見岳が夕日に映え大きく聳えている。
テント設営後、疲れた体にムチ打ち、水汲みに。単独テント山行はこれが辛い。
往復30分、明日の分も用意し、ジフーズ食で軽く夕食を済ませる。早々に明日の天気を気にしながら(出発前、遥か太平洋上に台風が発生していた)眠りにつく。

<コースタイム&費用>    
新宿(8:00)→松川IC(11:30 12:00)→鳥倉登山口(13:45 14:00)→水場
(16:00)→塩川登山道分岐(16:30)→三伏峠(17:00)

幕営料・・・600円
トイレ使用料・・・100円
本日ビール飲まず!

●第ニ日目(8月1日 快晴) 三伏峠〜小河内岳〜高山裏避難小屋     
 暗闇の中、テント撤収。塩見への道を左に分け、少し進んで水場への道も左に分け、右へ、ロープで囲まれたお花畑の中の道を直上して烏帽子岳に向かう、4時30分。
 三伏峠小屋に泊まっていた人の多くは塩見を目指す人々なのであろうか、烏帽子へ向かう人はいない。「いよいよ、ここより南部に踏み入る」と思うと、少し、気持ちが高鳴る。
 朝一番のきつい登りも小1時間ほどで烏帽子岳に着く。山頂からは北ア・中ア、塩見をはじめ、間ノ岳・農鳥(だと、思う?)と北部の山々、そして目を南に転じればこれから向かう小河内岳(おごうち)、その背後には荒川三山の雄姿が望まれる。
 小休止の後、ガレを下り、登り返して前小河内、再び登り返して小河内山頂(2802M)に着く。直下に避難小屋が(注1)。またここから荒川中岳の避難小屋がはっきり見えた。
 山頂より砂礫のガレを下り、樹林帯に入る。本日の幕営地・高山裏避難小屋(2400M)まで大日影山〜板屋岳を経て400メートルの下りである。
 大日影山は分からないうちに通過してしまった。荒川三山が樹の間越しに見え隠れする。板屋岳からはひたすら下るのみ。樹林の中よりパッと開けたお花畑の下にその小屋(注2)は建っていた。陽はまだ高い、午前11時。

小屋入口にはメモ看板があり、「只今、水汲み中!」。
私も水汲みに、「下り20分」とある(実際は10分ほどだったが、「最近の登山者は多目に書いておかないと苦情をいうヤツがいるのだ」と、あとで小屋番が嘆いていた)。
小屋の裏手より急坂を下って行くと小屋番らしきじいさんが(私もりっぱな、じいさんだが)登ってきた。挨拶をするも返答なし。沢床にかすかに水が流れていた。こんなか細い流れでもありがたい。
戻ると、やはりその人物は小屋番であった。
テン場の手続きをして、まずはビール。
最初はとっつきにくい親父であったが、私が「張るのはここでいい」(そこはトイレの前であるが、臭いもせず、3張張れる所。少し下って行くと心地よいテン場がある)と言うと、「そうだろ、おれはよく掃除してるんだ。なのに、トイレの側じゃ、とブーブー言う輩が多くて、たまらないよ」といって嘆いていた。
それから意気投合したのか、「シュラーフはここに干せや」、「このスリッパをはきな」「このベンチは冷えるからダンボール敷きなよ」と、とても親切にしてもらった。
親父さんがいうには、きょうは、ものすごく暑いので水汲みは堪えたという。

少し昼寝をする。その間、外国人の単独行者、他2人ほどが通り過ぎて行った。
「今の連中は、時間があるとぎりぎりまで歩く。あの荒川岳へのガレ場の急登はいまから行って西日を背に当てながら登るんでは、体力消耗するばかりだ。あの登りは涼しいうちに登るべきだよ」とさかんにいっていた。
その日は私のほかは、夕方着いた人が一人幕営したのみ。小屋には泊まり客なし。
夜、ラジオでは「関東地方が梅雨明け宣言された」と伝えていた。そして、出発前に発生していた台風が九州に近づいているという。
しかし、その日は夕闇がせまっても、荒川三山北面の荒々しい稜線がいつまでも見える素晴らしい一日であった。

(注1)この小屋は夫婦2人でやっていて、とても感じの良い小屋だった、と荒川小屋で会った人が言っていた。なにしろ、朝のロケーションが最高だという。たしかに、山頂にあるのは赤石岳避難小屋と、この小屋ぐらいだ。
(注2)この小屋の親父は南アルプスの各小屋の紹介(荒川小屋で翌日、目にした)の中で『一度は会ってみたい南アルプスのがんこ親父』として紹介されていた。

<コースタイム&費用>
三伏峠小屋(4:30)→烏帽子岳(5:25 5:35)→小河内岳(7:20 7:30)→板屋岳(10:00 10:15)→高山裏避難小屋(11:00)

幕営料・・・600円
缶ビール大・・・800円

●第三日目(8月2日 風強し、霧雨) 高山裏避難小屋〜荒川岳〜荒川小屋
きょうは、本コース中、最大の標高差600Mの荒川岳への登りがある。
朝靄の中、少し下って高山裏の快適そうなテン場の中を通っていく。針葉樹林の中の緩やかな登りのトラバース道は、まだ起き抜けの体には助かる。途中、水場あり。小1時間ほどで森林限界を越えて着いた草つきの広場で小休止。
台風が近づいているためか、ガスが漂い、今にも雨が落ちてきそうな空模様である。ただただ、この前岳のカールの急登を登りきるまでは天気がもってほしい、と祈るばかりだ。
さあ、いくぞ!! ダケカンバの中のガレた登りは、それでなくても登りにくい。
やっぱり、雨が落ちてきた。急ぎ、カッパを着込む。ガレ場の中につけられたジグザグな道を赤ペンキマークを頼りに一歩一歩、牛歩のごとく進む。暑ければ、体力消耗するところだ。今は寒いくらいの風と霧ションであるが、汗と雨で体はぐっしょりである。
前方には、昨日テン場にいた単独行者が小さく見える。忠実にその後を追う。
2時間半ほどの苦しい登りで、やっと、前岳に連なる稜線に立つ。風はさらに強くなっている。前岳大崩壊地(濃霧で見えなかったが)の縁を気を引き締めて登る。
この稜線に出てから山頂まですぐだと思っていたが、これが案外、遠かった。いくら行ってガスで山頂が見えない。すると、ふと目を見張ると、すぐ目の中に前岳山頂(3068M)の標識が入ってきた。
そこからは、少し下って(前岳と中岳の鞍部より南=右へ荒川小屋への道が下りている)
登り返し、中岳(荒川岳)山頂(3083M)を経て、中岳避難小屋へ。
いよいよ、東岳(悪沢岳)へ。時間は十分ある。
小屋でツエルト・食料・水をサブザックに詰め替え、出発。しかし、数歩踏み出すと飛ばされそうな強風だ。あまりの風とガスに心は「行こうか、戻ろうか」迷う。そのときの心境を当時のメモ帳より正しく記してみる。

『もう二度と来れないだろうから、悪天をついても行こうとしたが、残念ながら年の成せる業か、意志の弱さか、安全の方をとる。若いときなら行っていただろう』

ついに、悪沢岳、断念!!後ろ髪を引かれる思いで、荒川小屋への道をとる。カールの中に下りると風は弱まっていた。
この前岳南斜面のカールを彩るお花畑に咲き乱れるミヤマキンポウゲ、ハクサンフクロウなどの群落はものすごい! ただただ、感動の一語に尽きる。ガスの切れ間から下方に、荒川小屋(2610M)の赤い屋根が見えている・・・・。

きょうは台風を避け、最初から幕営を止め、素泊まりで小屋に逃げ込む。
同好の士がいた。久冨泰伸氏、49歳だ(九州の人で、単身赴任6年目だという)。氏は北岳より縦走して来たという(この氏とは以降、最後まで一緒に山行を共にすることになる)。
七月に発生した台風4号の大雨で畑薙第一ダムから南へ約3キロの地点で道路が崩落し全面通行止(歩行者用仮設通路が8月2日よりできたとのこと)になっているため、登山客が入って来れないので小屋はガラガラであった。
夜のニュースでは「台風は九州に上陸、翌朝には大陸に抜けていくだろう」と伝えていた(実は、この台風は迷走台風で、翌3日は日本海に抜けたものの日本列島に沿って東に進み、その翌日4日の16時には津軽半島に達するという、なんとも、迷惑な台風であった)。

<コースタイム&費用>
高山裏避難小屋(4:35)→前岳(8:10)→中岳(8:20)→中岳避難小屋(8:30)→荒川小屋下山口(9:00)→荒川小屋(10:00)
小屋代(寝具無し素泊まり)・・・4500円
缶ビール・・・・600円 (大)900円

●第四日目(8月3日 雨・ガス) 停滞 荒川小屋〜悪沢岳往復
 台風一過の快晴を期待していたが、それに非ず。台風の余波で今日も雨とガスの中で朝を迎える。
 この悪天をついて、赤石のほうへ動く人もいた。もちろん、歩けない天気ではないだろうが、しかし、私たち(これより2人)は赤石岳への3000メートルの稜線漫歩は最大の見所なので、なんとしても、晴れの中で、このコースを歩きたいという思いで、今日はあえて停滞と決め込む。
 とはいうものの、貧乏性の私は一日じっとしていることができない。昨日、悪沢岳へ登れなかったことが、どうしても心残りとなっていた。少しガスが切れはじめたので、おもいきって悪沢岳の往復に出かけることにした。
 入山4日目で体が山に慣れたこともあり、そしてなんといっても空身なので調子がいい。今度は登りでお花畑を再び見ることができて幸運(往復なのでトータル3回見れたわけだ)。
 登り1時間ほどで稜線に出る。中岳避難小屋からは緩やかな下りで最低鞍部に下り立つ。
ここからは約200メートルの最後の登りである。
 この山を深田久弥は『日本百名山』(新潮社版)の中でこう記している。

『この山は国土地理院の地図には東岳となっているので、その称呼が普及しつつあるようだが、私たち古い登山者にとっては、どうあっても悪沢岳(わるさわ)であらねばならぬ。(中略)一たい東岳という平凡な名はいつ付けられたのであろう。おそらく荒川岳の東方にある一峰と見なしたに違いない。しかし荒川岳の続きと見るにはあまりにもこの山は立派すぎる。南アルプスでは屈指の存在である』(原文のまま)と。

 確かに仰ぎ見、実際に登ってみると、ほんとにそう思えてくる。東岳をいうにはあまりにも風格がありすぎる。
 こうして、北岳、間ノ岳につづく南アルプス3番目の高峰・悪沢岳(3141M)に立ったのである。
その頃には幾分ガスも切れ、烏帽子・前小河内・小河内岳と歩いてきた北の方の山々が見渡せた。しかし、南の赤石岳はまだ雲の中である。残念!(翌日も天気は回復しなかったので、この山行中、赤石岳の雄姿を近くではっきりと見ることはできなかった)
 帰りは、昨日より少しはガスの切れ具合がいいので、山頂の記録写真を撮るため、もう一度、中岳を越え、前岳まで足を延ばした。そこには、昨日見えなかった前岳の大崩壊地があった。エッ、こんな脇を登ってきたのかと思うと、ぞっとした。

 小屋に戻る。小屋には添乗員・ガイド付きの中高年の団体が大勢入っていた。中岳の下りで「避難小屋はまだですか?」と声を掛けられた人たちであった。それにしても、こんな南アの深奥の地までどこかの旅行会社の団体ツアーがあることに、少し、複雑な思いを感じざるを得なかった。しかし、もう二度と来れないであろうと思っていた悪沢岳に登れたいまは、幸せ気分だ。今日の良き一日に乾杯!

<コースタイム&費用>
荒川小屋(8:15)→中岳(9:20)→悪沢岳(10:20 10:25)→荒川小屋への分岐(11:40)→前岳(11:45 11:50)→荒川小屋(12:40)

小屋代・・・・6500円(本日は豪華に食事付き)
缶ビール・・・600円

●第五日目(8月4日 強風 曇り) 荒川小屋〜赤石岳〜百間洞山ノ家
台風が去ったというのに、相変わらず、深く重いガスが今日も垂れ込めている。天気の回復は望めそうもない。しかし、少しでも良くなれば思い、出発をいつもより遅らせ、6時30分、荒川小屋を経つ。
トイレの手前より山腹を巻き気味につくられた大聖寺平までの緩やかなトラバース道を朝の体調を整えながらゆっくり登っていく。
大聖寺平に出ると、ものすごい風である。視界は全くゼロ。小赤石岳を目指して進むが、その強風で体力を奪われる。風は長野側よりものすごい勢いでせめてくる。まさに、「風の
魂」だ。
砂礫のジグザグな道を登る。静岡側にくると風当りは弱まるが、また、長野側を歩くと、耐風姿勢をとらなければならないくらいの勢いだ。どこまで登って行っても吹きっさらしで、休む場所がない。結局、小赤石までの間、一ヶ所、小赤石岳の肩あたりのハイマツの窪地で休めただけだった。
小赤石岳(3081M)を過ぎ、いよいよ南アルプスの盟主赤石岳を目指す。風は相変わらず強い。赤石小屋のルートから男女二人連れが登ってきた。静岡側から来たこの二人にとっては、縦走路に出た途端、この風の洗礼を受け、戸惑っている様子だ。分岐より20分ぐらいでやっと着いた赤石岳山頂(3120M)は、もちろん、何も見えず、記録写真を撮るのが精一杯だ。早々に山頂直下の小屋へ逃げ込む。
ここで、この先、光岳(てかりだけ)まで抜きつ、抜かれつする(山登りは競争ではないので、この表現は相応しくないと思うが、ボキャブラリー不足ですみません)ヒゲ面氏(注1)と会う。彼は、夜叉神峠から鳳凰三山を越えて甲斐駒をたどり、全山縦走をおこなっているという。
一時、コーヒーで体を温め、再び、外へ。本日の幕営地、百間洞山ノ家(2400M)へと下りる。やせた馬ノ背の岩道を通り、晴れていればおそらく素晴らしいであろう広々とした百間平を経て、百間洞の源流部にある幕営地に着く。テン場の手続きをする小屋はこの縦走路より100メートルくらい下にある。平成2年に建て替えられたものだそうだ。
すでに、2張、張られていた。よく、整地されたテン場である。久々の沢音を聞きながらヒゲ面氏と3人で談笑する。
(注1) 実は、彼は昨日ここにいて、今日、わざわざ赤石岳避難小屋にまた登って来たそうだ。ここの水を小屋に届けてあげたいために。頂上小屋は天水しか取れないので、喜ばれるそうだ。

 <コースタイム&費用>
荒川小屋(6:30)→大聖寺平(7:20)→小赤石の肩(8:15)→赤石岳(9:15)→赤石岳避難小屋(9:20)→百間平(11:45)→百間洞幕営地(12:15)

インスタントカメラ・・・2000円
幕営料・・・600円
缶ビール・・・800円

●第六日目(8月5日 晴れ) 百間洞山ノ家〜兎岳〜聖岳〜聖平小屋        
 百間洞から縦走路をそのまま大沢岳に登るコースと、小屋の裏手より山腹を巻いて大沢岳と中盛丸山の鞍部に達するコースがある。後者を行くことにする。
 朝は相変わらず、体調が整うまで大汗をかく(体重は少し、減ったかな)。1時間ほどでコルに出る。小休止。今日は天気が良さそうだ。しかし、時々、ガスがかかる。
 中盛丸山は卵を立てたような山だ。まさに「盛」「丸」といった感じである。コルからの砂礫の斜面の登りはきつい。やっと登った山頂からはこれまた急下降である。かなり下った記憶があり、樹林帯の中に入ってしまうので、「エッ、こんなに下るのかな? もしかして、道を間違えたかな?」と思ったくらいだ(南部を歩いていて特に感じたことは、見晴らしのいい稜線を歩いていたかと思うと、急に鬱蒼とした樹林の中に入り、また、稜線に出るといった所が多々あり、今日は、入山日だったけ、と思い違いしそうなことがあった)。
 そこからは登り返し小兎岳へ、再び下ったコルよりまた兎岳に登り返す。これには参った。やっとのことで中盛丸山より2時間の登り下りの末に兎岳(2818M)に着く。
 山頂からは、越えてきた中盛丸山の特徴ある形が少しガスがかかりつつあるが、よく見えた。赤石岳の方も見えていたはずだが、昨日までガスっていたのでその山容がどうも頭に入らない。
 兎岳からはこれから向かう聖岳の威容な姿が私たちを圧倒しているかのようだ。少しの下りで兎岳避難小屋に着く。縦走路より少し入る。標識が立っていなければ通り過ぎてしまうほどの廃屋だ。昨日、荒川小屋で会った人はここに泊まったといっていた。なにしろ、気持ちが暗ら〜くなってしまいそうなオンボロ小屋だ。
 小休止の後、出発。ハイマツとダケカンバの林の中を急下降。岩場を通り過ぎ、「聖兎」のコルに下り立つ。さあ、ここからがいよいよ聖岳への最後の登りである。ガラ場の縁を通り、潅木帯から岩稜をつたい、ついに、日本アルプス最南の3000メートル峰・聖岳(3013M)に登り着いた。このコース六つ目の3000メートル峰である。赤石方面は全面ガスの中(どうも、赤石とは縁がないらしい)。
 空身で奥聖岳往復に向かう。往復40分くらいの気持ちのいい道の両端には名の知れぬ花が咲き乱れていた。
 12時40分、山頂を後に聖平小屋までおよそ700メートルの下りにはいる。急な砂礫のジグザグな道を下る。30分ほどすると、少し右手のガレ場の奥に水が出ている。ちょっと見落としやすい。道の左手には1〜2張、張れそうな広場があった。ここに張った人もいたような形跡がある。
 小聖岳を経て、どんどん下る。途中、マルバタケブキという花(高山裏避難小屋のオヤジに教えてもらった)の群落が疲れた体を癒してくれる。
 雨がポッリ、ポッリと落ちてきた。あっ、やっぱり小屋までもたなかった。急ぎ、カッパを着込むと同時くらいに雨脚が強まり、激しい大粒の雨が襲ってきた(降ってきた、というより、ほんとに、襲ってきたといった感じです)。
「ま、仕方ない、雨もまたよし」と思い直し下りつづける。薊畑(あざみばたけ)のところの指導標に従い、左へ下りる。聖平への草原の斜面にできた道(大雨で道が掘られてしまって、グチャグチャの泥んこ道)を下りきると木道に出た。左へ(直進は茶臼へ)。もうそこは、聖平の気持ちのいい草原の中。雨も上がった。一投足で倒木、枯れ木の中に聖平小屋(2260M)があった。
 
まずは、テン張る前にビールで喉をうるおす。テン場はこの雨でそこらじゅう水たまりだらけだ。張る戦意喪失。お互い「あ・うん」の呼吸で、すでにしてあったテン場の手続きを小屋泊まりに変えた。素泊まりの連中は冬季小屋に。小屋はこの雨でか満員御礼の状態である。
この雨は、聖岳山頂では「ひょう」になっていたという。夕方、仰ぎ見る聖・奥聖の稜線は雨上がりだからか、やけに美しいかった。

<コースタイム&費用>
百間洞山ノ家(5:15)→稜線(6:20)→中盛丸山(6:50)→小兎岳(7:30 7:55)→兎岳(8:40 9:00)→聖岳(12:00)→奥聖岳(12:25)→聖岳(12:45 13:00)→小聖岳(13:45)→聖平小屋(15:00)

小屋代(寝具なし素泊まり)・・・3500円
缶ビール・・・600円

●第七日目(8月6日 快晴) 聖平小屋〜茶臼岳〜光小屋
 今日は、最初の計画では茶臼小屋までの短い楽チンコースであったが、停滞の分を取り戻すためにも、一気に光小屋まで頑張ることにする。ただ、長いだけで、今までのように高低の差は少ないはずだ。
 4時30分、出発。聖平の木道より離れ、左へ、樹林帯の中を登って行く。樹林より潅木、ハイマツ帯と変わると稜線に出る。後方の山々が朝陽の中に見えてきた。今日は快晴、久しぶりの夏山らしい上天気だ。
 南岳を越え、上河内岳(かみこうちだけ)へと向けてゆっくり歩を進める。小屋より2時間30分で上河内岳の肩に着く。ここに荷を置き、山頂を往復する。上河内岳(2803M)からは360度、見渡すかぎり山、また山である。越えてきた兎岳・聖岳・赤石岳・悪沢岳が一望できる。聖岳の山容は台形のかたちをしているのですぐ分かる(赤石は後日、ここで撮った写真を他のガイドブック等のものと見比べてやっと分かった)。
 東から南に目を転じれば、笊森岳(ざるもり)、富士山、大無間山、小無間山、そしてその手前に畑薙ダムが緑の水を湛えている(これは、後から登ってきた例のヒゲ面氏の説明によるが・・・)
 肩に戻る。干して置いたテントがすっかり乾いていた。
 茶臼目指して下る。下り着いた所は草原の別天地、亀甲状土だ。気持ちのいい草原から振り返るピラミダルな上河内岳は素晴らしくいい山である。ここ亀甲状土であまりにも天気がよすぎるし、景色は最高なので、コーヒータイムとしゃれ込む(ここで楽しんだ30分が後でとんだ目に遭うことになる)。ヒゲ面氏がそんな二人を見ながら足早に通りすぎていく。
 茶臼小屋への分岐に着く。小屋から茶臼を往復する人が2、3人、私たちを追い抜いていく。分岐よりひと登りで茶臼岳山頂(2604M)に立った。
 ここの標識は古いガイドブックに出てくるままのものである。マルの中に字が書かれた例の標識だ。ご存知でしょう? 赤石も聖も荒川前岳・中岳のようなキレイな全く規格化されたデザインの標識(赤石と聖は昔の標識も確かに残ってはいたが)であり、少し味気なさを感じていたので、ここ茶臼の標識にいたく感動したのかもしれない。
 もちろん、ここからも越えてきた山々がはっきり一望できる。また、これから辿る光岳もあの辺だろうと、察しがつく。
 仁田池に下る。ここには昔、仁田小屋があったという。かつて、多くの岳人がこの付近にテントを張ったのだろう。確かに泊まってみたい草原の気持ちのいい所だ。しかし、今では「幕営禁止」の看板が立っている。
 樹林の中に「希望峰」と書かれた標識のところに来る。ここより、仁田岳を往復する。縦走路より少しはずれた不遇の山はみな味わいがある。
 戻り、再び歩き出す。アップダウンのつらさはないが、やや単調な道を長い時間歩いていると緊張感が欠ける。足元に注意せねば・・・・・。
 樹林の中の小広場の山頂・易老岳(いろうだけ)に着く。ここからは明日下る易老渡(いろうど)への道が分かれている。
 シダ類が生えている原生林の中の三吉平(深田久弥が光岳に向かう時、雨にたたれて3日間、ここに幕営したという)を過ぎ、きょう最後の登りになるであろう涸れた沢状のダケカンバの中の道を静高平へと登りはじめる。
 そのときである。ゴロゴロ、ピカピカと稲妻が走り、大粒の雨が襲ってきた。このまま登ってしまうと静高平からセンジヶ原は平坦地のはずだから、カミナリにやられかねない。潅木の窪地をさがし、二人でツエルトをかぶる。雨は激しく地をたたいている。
「痛い!」。なんと親指の頭大の「ヒョウ」が降ってきた。ほんとうに、雷雲がもたらす通り雨ですむのだろうか。不安が起きる。
しかし、30分ほどすると雨は上がり、樹々の上方が明るくなっていた。もう、そこらあたりが静高平の平坦地のはずだ。10分も歩かないうちに静高平の水場に登り着いた。「テントの方はここで水を!」という立て札にしたがい、水を汲んでセンジヶ原の木道に入ると、その先には光小屋が見えていた。

小屋の手前のテント場は水びたしだ。しかし、今日は本山行の最後の夜なのでどうしてもテント泊にしたかった。もう一ヶ所の小屋の前の一段上のテン場に少しスペースがあった。先に着いたヒゲ面氏が取っておいてくれたのだ。感謝!感謝!
いつものごとくビールで乾杯!今日は、冷酒も一杯。
長い道のりであった。亀甲状土で楽しんだ30分が、結果、雷雨に遭ってしまった。昨日といい、今日といい、やはり夏山は鉄則として午前中(遅くても1時頃まで)に幕営地に着かなければいけないと、つくづく反省させられた。
夕焼けの中、長かった一日が終わろうとしている・・・・・。

<コースタイム&費用>
聖平小屋(4:30)→南岳(6:40)→上河内岳の肩(7:00 )→上河内岳(7:15)→上河内の肩(7:30 7:55)→亀甲状土(8:30 8:55)→茶臼岳(9:40 10:00)→仁田池(10:15)→希望峰(仁田岳への分岐10:35)→仁田岳(10:50)→希望峰(11:15)→易老岳(12:15)→雷雨 雨宿り30分→光小屋(16:00)

幕営料・・・400円
缶ビール・・・600円
お酒・・・600円

●第八日目(8月7日 快晴) 光小屋〜光岳往復 光小屋〜易老岳〜易老渡
山頂で御来光を見ようと、夜の明けぬうちに登りだす。寸又峡への道を左に分け、15分ほどの軽い登りで光岳山頂(2591M)に立つ。まだ、誰もいない。
「光岳」と書いて「てかりだけ」と読む。なんとも、味わいのある山名だと思うのは私だけだろうか。この地に立つために、ここまで歩いてきた気がする。ここは、ハイマツの生える日本最南端の山だという。
深田久弥は名著『日本百名山』の「光岳」の中で、次ぎのように著している。

『頂上は狭かった。少し行くと、御料局三角点のある頂上がもう一つあった。ここの方が幾らか広い。パインアップルの罐をあけ、一株の匐松(はいまつ)の根元に腰をおろして休んだが、その匐松こそ日本最南端のものであった。人夫の言によると、これから先の山にはもう匐松はないという(中略)。日本アルプスもここが南の果てだという気が強かった。』(原文のまま)

 東の空が明るみ始めてきた。太陽が昇りはじめている。「10・9・8・7・・・・」とカウントダウンしていく。「3・2・1・0!」。御来光を見るのは久しぶりだ。
 下りでは、少し寸又峡への道に踏み入ってみた。本来はここより約15時間の道のりを寸又峡に下りるのが全山縦走を飾るフィナーレなのかもしれない。我々の先輩たちもこの道を下りていったのか・・・。年老いた人が一人、下りていった。
 聖小屋で会った高校山岳部の顧問氏は、わずかな踏み跡を頼りにこの先の加加森山(かがもりやま)から池口岳の方へ行くという。
 小屋に戻り、荷を背負う。入山のころに比べるとグッと軽くなった。
 分岐よりイザルヶ岳の往復に向かう。砂礫の山頂はまばゆいばかりの朝陽を浴びている。いま来た光小屋の向こうに、光岳がある。「イザルヶ岳」とくりぬいて掘ってある山頂標識がなんともユーモラスに見える。
 戻り、静高平で水を補給して昨日の雷雨をしのいだゴーロ状の道へと急降下する。三吉平より少し先の所(下界が見えるところ)で小休止する。「ケータイ通じます」という立て札がそのあたりにあった。
 易老渡にタクシーを予約してあるので、あんまりノンビリもしていられない。時間を逆算しながら、易老岳へ向かう。下りの時間も読めたので易老岳で大休止。易老渡への約1500メートルの下りにそなえる。
 ここからの下りでは、ネットで見てきたところによると、「ひる」が多いという。スパッツをつける(出発前、牧野さんから靴の中、靴下に塩をふっておくといい、といわれていたが、すっかり忘れていました。すんませ〜ん)。
 いよいよ、最後の下りだ。ケガしないように気を引き締めなければ・・・・。
 下る、下る、どんどん下る。
下るにつれ、暑くなる。何回かの休みの後、面平らしき所に着く。登ってくる人もいる。こんな急登を登る人もいるのかと思うと、全く、そんな人には最敬礼したくなる。百名山ブームで光岳を登りに来る人が多いのかも・・・・・。
下る、下る、またまた下る。
いい加減足が笑うころに、易老渡からの登り口の標識のところに下り立った。光岳よりここまで6時間、約1700メートルの大降下であった。あとは、遠山川に架かる橋を渡れば8日間の山行が終わる・・・・。

<コースタイム&費用>
光小屋(4:30)→光岳(4:45)→光小屋(5:15 5:25)→イザルヶ岳への分岐(5:35)→イザルヶ岳(5:45) イザルヶ岳分岐(5:55)→静高平(6:00 6:20)→易老岳(7:55 8:10)→易老渡(11:20) タクシーにて遠山温泉郷「かぐらの湯」(12:00)
飯田駅(18:07発)→新宿(22:15着)

神楽の湯〜飯田駅バス代・・・1350円
飯田〜新宿 高速バス代・・・4200円
タクシー相乗り3人・・・・?(忘れた)
温泉にて宴会・昼食・・・・?(忘れた)

<終 章>
 南アルプス南部はいまや小屋など、大分、近代化され、昔に比べたら非常に入り易い山域になったのかもしれない。とはいえ、やはり山は深く、そして大きかった。
 今回は長野県側に下りてしまったが、本来は、先述したように、光岳から寸又峡に下り、静岡駅より東海道本線で(新幹線に非ず)帰るのがいいのかもしれない。できれば東海道本線の鈍行(JRには鈍行はないそうだ。各駅停車というらしい)に乗り、その車窓から、自分の歩いた足跡に思いを馳せて、山なみをゆっくり思い浮かべながら帰りたかったものである。
 その機会がいつかあることを祈ってペンを擱く(ペンではなく、いまなら、さしずめキーか)。

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